人生でやりたいことリスト100は、必ず「2つ」必要だという話
皆さんは
人生でやりたいことリスト
というものをつくったことがありますか?
人生でやりたいことリストというのは
- 人生の中で、死ぬまでにどうしてもしてみたいことを実現の可能性の有無に関係なく好きなだけ箇条書きにするリスト
です。
多くの自己啓発本の中で推薦されているもので、人気のあるブロガーさんにも自分のやりたいことリストをブログで公開し、達成したものを一つずつ消していく人が多くいます。
かという私も、大学生のころ携帯のメモ機能の中に
- 「人生でやりたいことリスト100」
を作成したことがあります。
実際、これは私が何か行動を起こそうとするとき、とても役に立ってきました。
このリストは自分の成長に伴って、少しずつ修正を加えることが可能です。
大人になることで、自分に必要のないと感じたものを捨てていくことは、ある意味でとても前向きなことだと思います。
書ききれないほどの夢がある人は、100、150とリストの項目を増やしていっても良いと思います。
このリストの良いところは
- 本当にやりたいことがわかる
- 目標を再確認できる
- 生活のモチベーションがアップする
といった点です。
自分が本来何を求めているのか、何が好きなのかを、より具体的に言葉にすることできます。
そして、目標を達成するための具体的なイメージをつくる手助けになるのです。
私は行きたい旅行先など山ほど書いています。
旅に出る際は必ずこのリストを眺めて、次の旅行先を決定してきました。
一度やってみるとよくわかるのですが、これからの自分に対して、とてもワクワクした気持ちになります。
でも、このリストにも欠点があるんですよね。
人生でやりたいことリストの欠点
人生でやりたいことリストの欠点。
それは
- 実現の可否にかかわらずリストにすることができる
という点です。
リストを書いたばかりの時は、モチベーションも高くあるのです。
が、数年たつと、具体的な行動指針が見えてこなくて、ただの絵空事になってしまう。
こんな都合よく全てがかなうはずない。
そんなことを、ぼんやり考えることもしばしばありました。
人生でやりたいことリストをつくるだけでは、夢はかなわない
そんなとき、この人生でやりたいことリストに関して
- 目から鱗が出る考え方
を学びました。
きっかけは喜多川泰さんの『君と会えたから……』という本でした。
喜多川泰さんの本は、自己啓発本のジャンルに分類されるもの。
が、ストーリー形式になっていて少しずつ主人公が人生に必要な教えを学んでいくという構成になっています。
この本の中でも、人生でやりたいことリストを作成することがオススメされていました。
主人公の少年が、初恋の少女にすすめられて、人生でやりたいことをリストにしていく流れがあるのです。
私はこの場面を読みながら、少し落胆していました。
この本は自分の知っていることしか書いていないなぁ、と
しかし話の流れが、自分が予想もしていなかった展開になったんです。
それがこちら。
「リストを作るという方法はね、いろんな人がいろんな本で自分の欲しいものを手に入れるための手段として紹介しているわ。だから私のパパも試してみたらしいの」
「それで、うまくいったからこそ君に薦めたんだろ?」
「それが違うの。うまくいかなかったのよ」
え?
うまくいかなかったの?
本を流し読みしていた私は、驚きました。
さらに物語は、このように進んでいきました。
「確かに欲しいものははっきりした。でも、それをたくさん書いて、それに向けて行動するだけでは、うまくいかなかったの。手に入れることはできなかったの」
「ということは、この方法はあまりよくなかったってこと?」
「はじめはそう思ったんだって。でも多くの成功者が薦めていることだからって、いろんな工夫をしてみたっていうの」
「たとえばどんな?」
「そうね。それぞれの項目に期限を設けたり、内容をより具体的にしたりね」
「なるほど」
「そしたらね。あることを始めてから、そこに書いた一つひとつのことが、面白いように、次から次へと実現されるようになっていったって言うのよ」
そのたった1つのことというのが
- 2枚目の人生でやりたいことリストの存在
です。
2枚目の「人生でやりたいことリスト」の存在
人生でやりたいことリストは、1つだけでは、本来の効果を発揮することができない。
喜多川泰さんは、本の中でハッキリとそう書かれていました。
これはいったいどういうことでしょうか?
喜多川さん曰く
- 人生でやりたいことリストは、2枚で1セットである
それはまるで人生の裏と表に例えられたような答えでした。
2枚目のリスト、それはこのようなものです。
「こ、これは…どういうこと?」
「違いがわかる?」
「うん。でも、これは…やりたいこと、達成したいことリストというよりも、やってあげたいことリスト、人に達成させてあげたいことリストじゃないか!」
「そうよ。でもそれも、私の人生においてやりたいことなの」
私はここまで読んで、作者の意図を察し「なるほど」とかなりの衝撃を受けました。
「二枚目のライフリストには、自分の人生の中でほかの人にやってあげたいことを書いていくの。
これをつくってからパパは一枚目の内容を徐々に実現していくことができるようになったって言ったわ。
この二枚はね、関係ないように見えて、実は表裏一体。
合わせて、一つのものなのよ」
私はすぐに、自分が昔書いた人生でやりたいことリスト100を見直しました。
そこに書いてあった100以上の項目には
- すべて自分のことしか書かれていません
でした。
そこには一切「誰かのためにこうしたい」といった他者の幸せを願う言葉が、何一つ書かれていなかったのです。
私はあまりのショックに暫く呆然と、そのリストを見つめていました。
わたしのためと、だれかのため
あれもしたい、これもしたい。
もっと欲を言えば、ああしてほしい、こうしてほしい。
そんな欲求を大人になっても抱え込んでしまう未熟な人間です。
けれども、やはりそんなに都合のいいことは人生の中で起こるはずもない。
- 何かを求めただけに終わったときは、逆にそれが手に入らない結果の方が多かった
と思います。
原因はすべて、欲することばかりを願ったこと。
自分も誰かに、なにかを与えられる側であることを忘れていたからでした。
逆に人生が好転しているときは、人に何かを与えることが習慣になっているときです。
誰かに対する挨拶も、声掛けも、気配りも、優しさも。
まるで習慣のように自然にできているときはやはり、常に自分の周りに人が絶えません。
そしてもっと膨らませれば、それは自分自身の金銭的な豊かさに還元することができるでしょう。
私は経済に関する知識などほとんどもたない人間です。
が、それでもやはり思うのは、お金の流れの中には特に、人間がもつ欲望の需要と供給の一致というものが存在します。
人が欲しがる価値を与えてこそ、自分が望むものがお金という形をもって手元に入ってくる。
「私が一枚目に書いたのも、あれをくれ、これを欲しいっていう欲求ばかりだったのよ。
でもね、私が人から何かをもらうことがあるとしたら、先に私がその人のために何かをしたときだけよ。
その反対は今まで起こらななかったし、この先も起こるとは思えない。
だから、一枚目のリストを完成させたあとも、なんとなくそれらを実現できるような気がしなかったの。
でも今日書いたリストは違う。
これを目標に頑張っていけば、前に私が書いたことも全部とは言わないまでも、いくつかは実現できそうな気がするわ」
この二枚目のリストは、本の中で
- 「giveのリスト」
と呼ばれていました。
「giveのリスト」には1枚目のリストにはない利点があります。
それは
- 実際に誰かにしてあげることなので具体的な内容が多い
- 日常生活で実践できる内容が多い
- 習慣を変える具体的行動指針になりやすい
といった点です。
私は一人で行動するのが好きです。
協調性のない性格だと自覚していますが、それでもやはり自分が頑張れるとき、成果を出したときは、その先に誰かの喜ぶ顔や驚く顔があったときです。
そういえば年末、実家に帰ったとき、中学生の頃の卒業文集を見つけました。
将来の夢という欄に私は
- 「自分の好きなことを仕事にして、お金をもらいたい」
と書いていました。
好きなことを仕事にする。
それが叶うとしたら、自分の好きなことを極めて結果、誰かを喜ばせるという流れが必須。
喜多川泰さんの本を読むまで、最近仕事をこなすことだけに忙殺され、そのことをすっかり忘れていたと気づかされました。
自分の夢、好きなこと、それを通じて誰かのために貢献したいという気持ち。
忘れたくないなと思いました。
ぜひ日常に疲れてる多くの人に、読んでいただければと思います。
喜多川泰さんの本は結構たくさん読んでいるので、こちらの記事にレビューをまとめてます。
宜しければ参考にしてください。
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